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zoom RSS 平河天満宮には牛と狐と獅子狛犬が

<<   作成日時 : 2007/12/11 01:40   >>

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平河天満宮は文明十年(一四七八)に江戸平河城城主の太田道灌が城内に天満宮を建立した。
徳川家康の江戸平河城入城後まもなく、築城のため奉遷したが、
慶長十二年(一六〇七)に貝塚(現在地)に奉遷され、地名を平河町と名付けた。
<御由緒より抜粋>

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天神さんだから牛が神使。参道に撫牛が一頭と石牛が四頭鎮座していた。

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狛犬は見当たらない。

撫牛の手前に平河稲荷神社の鳥居があり、狐が一対鎮座していた。

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なかばあきらめかけていたら、拝殿前に狛犬が一対鎮座していた。

千代田区の有形文化財に指定されており、獅子駒犬だ。
二代目で嘉永五年に再建された。


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2007年12月2日撮影
東京都千代田区平河町

千代田区指定有形民俗文化財
狛犬
  指定 平成七年四月
 本殿向って右側の石像の銘文によれば、この狛犬は、享和元年(一八〇一)に麹町周辺の人々によって奉納され、嘉永五年(一八五二)に再建されたことがわかります。一方左側にも銘文が刻まれていますが、現在では剥離していてほとんど読むことができません。ただし、「新撰東京名所図会」(第一八編)には、この銘文が収録されています。これによると、先代の狛犬がこわれてしまい、あらたに紫宸殿の障屏画をもとに狛犬がつくられ、これが嘉永三年(一八五〇)の火災で角や足を失い、同五年にこれらを補修して再設置した、とのことです。
「新撰東京名所図会」にある紫宸殿の障屏画とは、一般に「紫宸殿賢聖障子(ししんでんけんじょうしょうじ)」といわれるものであると思われます。「賢聖」とは徳のある人物のことで、中国では紀元前二世紀ころから功臣たちを書き並べるこの「賢聖」の図が描かれはじめます。この賢聖達の中央に魔除けとして通例描かれているのが、一対の「獅子」と「狛犬」です。日本でも平安時代には賢聖障子が御所の紫宸殿に描かれるようになりました。紫宸殿賢聖障子に描かれている獅子と狛犬のうち、狛犬は頭上に角をもっています。平河天満宮の狛犬を見ると、左側の石像の頭上には、径十センチ、深さ五センチほどの窪みができています。これは角が掛け落ちた跡のようです。平河天満宮の狛犬は、そのモデルを考えた場合、厳密にいえば「獅子」(右側)と「狛犬」(左側)との対になっているといえます。
 平河天満宮の狛犬は、そのユニークな出自で私たちの興味をひきつつ、麹町周辺に暮らす人々の平河天満宮への信仰の証として今日もその境内に佇んでいます。
  平成八年三月
    千代田区教育委員会


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